宮城県亘理郡山元町へ ①

2014年8月、「子どものための舞台芸術創造団体の会」のご紹介で、
東日本大震災被災地支援のボランティア公演に行きました。

宮城県山元町花笠地区の夏祭り会場で、赤い鼻で、回遊しながらコミュニケーション、
みんなでたくさん笑って、楽しい時間でした。

宮城県亘理郡山元町へ ①


震災以降初めて東北を訪れました。
現地の支援団体一つADRA JAPAN の方から、
公演の前に津波の跡を案内していただきました。
テレビやニュースで、被災のこと、知っていたはずなのに
まったく感じていなかったのだ・・・・・自分の中の何かがぽんっと外れるような音がししました。
見たこと、聞いたこと、感じたこと、何回かにわけて、書いてみようと思います。
(案内していただいた際のメモを参考に書きます。事実誤認があるかもしれません。お許し下さい。)




中浜小学校

最初に訪れたのは、「中浜小学校」です。
宮城県亘理郡山元町へ ①

中はこのような状態です。
宮城県亘理郡山元町へ ①

海岸線よりずっと内陸の方ですが、この小学校まで津波が到達しました。
高い山際に全員を避難させるのは時間的に無理だろうと校長先生が判断し、
2階建ての校舎の上にある小さな部屋に子どもたちと、地域の避難してきた方々全員が避難をしたそうです。


この部分↓
宮城県亘理郡山元町へ ①



部屋の中では地域の人たちが窓際に子どもたちを真ん中へ。
津波の様子を子どもたちに見せないようにしたそうです。
津波の様子を一人、校舎の屋上のデッキに出ていて見ていた校長先生、「判断を誤ったか」と思ったとのこと。
校舎よりずっと高い位置に波があったから・・。
だけど、だんだん、水位が下がり、津波が到来したのは、校舎の2階部分まで。
写真の青いラインが津波の到達点です。一番最初の写真でもう一度確認してみてください。
宮城県亘理郡山元町へ ①


小部屋に避難していた90名全員が助かったそうです。


現在、中浜小学校は、坂元小学校と統合され移転。
被災した校舎は、現在、震災遺構として残す方向で保存方法などが
話しあわれているそうです。
住民の7割の方が賛成、3割の方が反対と聞きました。
反対の方もそれぞれの想いがあって、決して否定できるものではないのだと思います。

ただ、津波とかけ離れた場所にいる私にとって、
そこで起こった出来事を強く感じさせてくれる建物でした。
可能であれば、よい形で残していってほしいと思いました。





同じカテゴリー(公演/企画の記録)の記事画像
「反応が予想とずれること」      公演記録 2017.1.19畑中保育園 (青梅市)
[思い出を演じる] 2016/10/18 新人職員フォローアップ研修講師
言葉がないんです。  公演記録2016.12.25阿佐ヶ谷パール商店街
「笑顔、笑顔、笑顔。大きなことはできないけれど・・。」  2016.12・24 女子栄養大学
悠久の歴史 公演記録  2016.10.30 高麗神社
街の空気と音楽 公演記録 2016.12.11阿佐ヶ谷パール商店街2
同じカテゴリー(公演/企画の記録)の記事
 保育園公演下見 (2017-02-23 22:16)
 「反応が予想とずれること」 公演記録 2017.1.19畑中保育園 (青梅市) (2017-01-22 14:15)
 [思い出を演じる] 2016/10/18 新人職員フォローアップ研修講師 (2016-12-27 21:20)
 言葉がないんです。 公演記録2016.12.25阿佐ヶ谷パール商店街 (2016-12-26 07:00)
 「笑顔、笑顔、笑顔。大きなことはできないけれど・・。」  2016.12・24 女子栄養大学 (2016-12-24 22:09)
 悠久の歴史 公演記録  2016.10.30 高麗神社 (2016-12-18 13:05)

2014年09月01日 Posted by香山ひまわり at 18:47 │Comments(0)公演/企画の記録

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。