響いてくるもの
昨日は パントマイムの清水きよし先生の幻の蝶の舞台でした。
梅若能楽院での、この舞台を見るのは三年目になります。
一年目はまだサーカスにいました。二年目からはお手伝いをさせてもらっています。
今年は初めて正面から見せていただいて、能舞台の綺麗さが心に残りました。
毎年 見るたびに気になる作品 や シーンが違います。
全部見終わったときの 心もちも違います。
そして、次の日目覚めたときの気持ちが違います。
さらにそのあと、ものを見たときに、あ、あの柿の色はこんなのかな。気持ちはこんなのかな。自分の気持ちと舞台の気持ちがすっとあったときに、舞台の余韻が響いてきます。不思議な感覚。そのときその場が愉しいという舞台と違うんだよなぁと思います。(もちろん笑える部分もたくさんあるのですが)。見えない部分もあります。パントマイムって、そのものを知らないと見えないの。あれはなんだったのだろうな。と。思いながら一年過ごすこともあります。作品の人の解釈を聞いて自分が思っているものと違って、びっくりすることもあります。
私は私の今の気持ちや考えを知るために 先生の舞台を見てるのかもしれません。
今年は「幻の蝶」の作品が圧倒的に自分の変化を教えてくれた。
去年までは、幻の蝶を追い求め、見つけたときには手に入れられず死んでしまう人生はばかみたいだな ってそればかり思っていた。人はどうして、そんな風に生きてしまうのだろう。と。(実は一年目に見たときには結局、見つけられなかったと思って見ていた。何故かたくさんの蝶がいっぱい私の目にうつっていて、その中には幻の蝶はいなかったの。最後の蝶は、幻の蝶なんだけど、そんな憐れな人を包みこむように羽ばたいていく。そんな感じに見ていた。)
今年はそんな人生もよいかな。と思った。決して必死になって探すのは、ばかみたいではないと思った。それが人が生きるということかもしれないし、それは憐れかもしれないけど惨めではないなと思いました。
どこかで、そういう風に何かに一途に必死に生きる人を私は馬鹿にしてたかもしれないし、そんな生き方に淡い憧れを抱きつつ、どこか安全な高見から見下ろして、自分がそういう風に生きることを否定していたかもしれません。
最後の蝶の羽ばたきが余韻を残し、目を閉じるとまぶたの裏に映ります。
今年は追い求めた人生の美しさみたいなものをその幻の蝶の羽ばたきの中に見た気がします。
まだ言葉にならないものを言葉にしてみました。
言葉にすると、そうじゃない、こうも感じていた。。。一つの作品を通して、あれこれ想いを馳せている自分がいます。
来年も 見たいな。
来年の自分は幻の蝶をどう見るのかな。。。楽しみです。
あ、
演者としての目はまた別なのです。
「あ〜あ
こんな風に演じらればいいな。」「こんなこころをあったかくする作品が作れたらいいのになぁ。」
欲がいっぱい。
私もがんばるぞ〜〜!